【解説:トランプ関税】トランプ氏は米経済力の基礎に背を向けた……厄介なことになるかもしれない
ファイサル・イスラムBBC経済編集長
―要約―
―全文(BBCニュース)―
ドナルド・トランプ米大統領はまたしても、新しい壁を作った。そして、その費用を払うのはアメリカ以外だと考えている。しかし、アメリカに入るほぼ全ての製品に少なくとも10%の関税を広く課すという決定は要するに、移民を締め出すためではなく、国内に仕事と雇用を留めておくために設計された壁だ。
この壁の高さは、歴史的な文脈で考える必要がある。保護主義という意味では、アメリカは約100年前に戻ることになる。この壁によって、アメリカは関税収入という意味では主要7カ国(G7)や主要20カ国(G20)諸国を一気に上回り、セネガル、モンゴル、キルギスと同水準になる。
今の事態は、アメリカが世界貿易戦争を始めたとか、株式市場の暴落を引き起こしたとか、そういう限られた事柄ではない。世界の超大国が、これまで自ら推進してきたグローバリゼーションのプロセスに、きっぱり背を向けたことを意味する。しかも、自分たちがもう何十年も、そのプロセスから多大な恩恵を得てきたにもかかわらず。
そして、ホワイトハウスのローズガーデンで大統領が大々的に掲げた各国への関税率と、その根拠となった方程式を通じて、アメリカ政府は従来の経済と外交の基本原則にもきっぱりと背を向けたのだ。
自由貿易の大論争
トランプ大統領は関税発表の中で、1913年をしきりに話題にした。1913年とは、アメリカが連邦所得税を創設し、関税を大幅に引き下げた転換点だった。
これ以前のアメリカ政府は建国当初から、主に関税で資金を調達していた。初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンの戦略に基づいて、あからさまな保護主義政策をとり続けた。
今のホワイトハウスは、このことから基本的な学びをいくつか得ている。つまり、高関税がアメリカを作り、高関税が初めてアメリカを「偉大」にしたという学びを。そして、高関税を課す限り、連邦所得税は必要ないということを。
他方、大西洋のこちら側には、グローバリゼーションと自由貿易の根底として、19 世紀イギリスの経済学者デイヴィッド・リカードの理論がある。特に、1817 年の比較優位論だ。
比較優位論にも方程式はあるが、その基本はかなり明快だ。つまり、各国は自国の天然資源と国民の創意工夫に基づいたさまざまなものを作るのが上手だというのが、この理論の基本だ。
そして大まかに言えば、誰もが自分の得意分野に特化し、自由に貿易を行えば、世界全体と各国がより豊かになるというのが、リカードの理論だ。
ここイギリスでは、この理論こそが政治と経済を結びつける基礎であり続けている。世界の大半の国は今なお、比較優位を信じている。これこそが、グローバリゼーションの理論的な核心なのだ。
しかし、アメリカは当時から、この理論を完全には受け入れていなかった。比較優位論に対するアメリカの根本的な消極姿勢は、決して消えなかった。そしてその消極性は今回、ひとつの数式によって形になった。トランプ氏が掲げた大きなボードに並んだ関税率一覧の数字をはじき出すため、米国通商代表部(USTR)がひねり出した、想像力豊かな方程式のことだ。
「相互」関税を支える理屈
「相互」関税と呼ばれるものの論理的な背景を解明するのは、意味のあることだ。ホワイトハウスが示した関税率は、対象各国で公表されている関税率と、ほとんど似ても似つかないだけに。
ホワイトハウスは、官僚主義と通貨操作を考慮して税率を調整したのだと述べた。だが一見複雑そうに見えた数式を詳しく見てみると、単にその国の対米貿易黒字の規模を測るだけの式だと分かった。ホワイトハウスは、貿易赤字の額を輸入額で割っていたのだ。
記者会見の1時間前、ホワイトハウス高官は次のように率直に説明していた。
「関税率は国別に調整されていて、経済諮問委員会(CEA)が計算した。(中略)CEAが使った計算モデルは、この国の貿易赤字は不当な貿易慣行の総計、 つまり(外国による)ずるの合計だという概念に基づいている」
これは本当に大事なことだ。ホワイトハウスによると、アメリカが外国にモノを売るより多くのものを、その国がアメリカに売ることは「ずる」で「不当」なのだ。なのでその国が、この不均衡を是正するために計算された関税を課されるのは仕方がないことだと。
人がめったに訪れないペンギンだらけの島々にアメリカが関税をかけるという現実離れした話は、だからこそ重要なのだ。これによって実際の手法が明らかになるからだ。
この関税政策を通じたトランプ政権の長期的目標は、1.2兆ドルの貿易赤字をゼロにすることだ。赤字総額の中で占める割合が特に大きい相手国との赤字をゼロにすることも目標にしている。そのため、税率を計算する方程式は単純に、アメリカに対して貿易黒字を持つ国々を狙い撃ちするよう作られていた。目にも明らかで、数量化できる貿易障壁を設けている国ではなく。そして、貧しい国、新興経済国、アメリカの貿易赤字削減に全く影響しないような小さい島も、その対象にされた。
この二つの要因は別物だ。重複するものの、同じではない。
一つの国がアメリカに対して貿易黒字になり、別の国が赤字になる理由はさまざまだ。そもそも、貿易収支がゼロになるべき理由はない。国が違えば作るのが得意な製品は違うし、天然資源や人的資源も国によって違う。これこそまさに、貿易の基本だ。
このことをアメリカはもはや信じていないようだ。同じ話をサービス貿易に限ってするなら、アメリカは金融サービスやソーシャルメディア技術などの分野で2800億ドルもの黒字を抱えている。
しかしサービス貿易は、ホワイトハウスのあらゆる計算から除外されていた。
「チャイナ・ショック」と波及効果
ここにはもっと大きな何かがある。J・D・ヴァンス米副大統領が3月に演説したように、トランプ政権に言わせると、グローバリゼーションは失敗だったのだ。なぜなら、トランプ政権がグローバリゼーションに求めていたのは、「富裕国はますます付加価値の高いものを提供し続け、貧しい国は単純なものを作る」世界だったからだ。
しかし、現実はそうはならなかった。特に中国がそうだった。そのため、アメリカはきっぱりと、この世界から遠ざかろうとしている。
アメリカにとって大事なのはデイヴィッド・リカードではなく、「チャイナ・ショック」という表現を生んだ米マサチューセッツ工科大学(MIT)の経済学者デイヴィッド・オーター氏だ。
2001年、世界が9月11日の米同時多発攻撃の影響に気をとられている間に、中国は世界貿易機関(WTO)に加盟し、アメリカ市場への比較的自由なアクセスを獲得し、やがて世界経済を変革した。
アメリカの消費者向けに輸出品をますます安く作るため、中国の労働者は農村から沿岸部の工場へと移住した。そしてアメリカでは生活水準、経済成長率、利益、株式市場が急成長した。これは、「比較優位」がいかに機能するかの典型的な例だった。中国は何兆ドルもの資金を生み出し、その多くは米国債の形でアメリカに再投資され、金利を低く抑えるのに役立った。
誰もが勝者だった。まあ、必ずしもそうでもない。要するに、アメリカの消費者は全体として安価な商品で裕福になったが、その見返りとして、製造業のかなりの部分を東アジアにもっていかれた。
オーター氏の計算によると、この「チャイナ・ショック」のために、アメリカでは2011年までに製造業で100万人、全体では240万人分の雇用が失われた。この打撃は、地理的には米中西部から大西洋岸中部にわたる「ラストベルト(赤さび地帯)」と南部に集中していた。
失われた雇用と賃金に対する貿易ショックの影響は、驚くほど長続きした。
オーター氏は昨年、さらに分析を更新し、トランプ氏は大統領として第1期目にも関税保護を試したが、経済への実質的な影響はほとんどなかったと指摘した。しかし、影響を受けた地域では民主党の支持が弱まり、2020年大統領選挙では同じ地域でトランプ氏への支持が上昇していた。
そして、時間を今年4月2日へ早送りすると、自動車業界や石油・ガス業界の労働組合の労働者たちが、ホワイトハウスで関税を祝っていた。
つまり、そういう業界での雇用がラストベルトだけでなく、アメリカ全土に戻ってくると政府は約束しているわけだ。確かに、ある程度はそうなるだろう。
大統領は外国企業に対して、工場をアメリカ国内に移転して関税を避けるよう、明確に通告している。ジョー・バイデン前大統領が差し出したアメとそれに続くトランプ氏のムチが確かに、この点に関しては特に、実質的な成果を生む可能性は十分にある。
しかし、トランプ大統領は過去半世紀の貿易自由化がアメリカを「強奪した」と発言した。たとえ自由貿易の拡大が、アメリカの特定の地域や産業部門や住民グループにとって良い結果をもたらさなかったのだとしても、アメリカが「強奪」され続けたというのは、明らかに全体的な実態を反映していない。
過去半世紀、アメリカのサービス部門は繁栄し、ウォール街やシリコンバレーから世界を圧倒した。アメリカの企業ブランドは、中国や東アジアにまでつながる実に効率的なサプライチェーンを活用し、憧れのアメリカ製品を世界中で販売し、莫大な利益を上げた。
アメリカ経済は過去半世紀、とても好調だったというのが本当のところだ。問題は単純に、その富がすべての部門に均等に分配されなかったことだ。アメリカに欠けていたのは、富を国全体に行き渡らせるための、多層的な再分配と適応の仕組みだった。これは、アメリカの政治的選択を反映している。
SNSで展開する初の貿易戦争
アメリカが今や、保護主義をいきなり強化して製造業を国内に回帰させようとする中、ほかの国は今後、アメリカを裕福にしてきた資本と貿易の流れを今後も維持するのかどうか、選ぶことができる。
世界中の消費者には、選択の余地があるのだ。
極めて効率的な東アジアのサプライチェーンを基盤に、モノを安く作り、魅力的な憧れのブランドの商品として世界中に売るという金もうけの仕組みを構築したアメリカの大手優良企業が、今では大きな問題に直面している。それは不思議でもなんでもないことだ。
トランプ大統領は、こうした各社のサプライチェーン戦略をぼろぼろにした。そればかりか、世界の消費者の間で各社のブランドイメージを大きく損なうリスクがある。だからこそ、アメリカの大手企業の株価が、特に打撃を受けているのだ。
結局のところ、これはソーシャルメディア時代に繰り広げられる初の貿易戦争だ。米電気自動車(EV)テスラの販売不振や、カナダ国民がアメリカ製品に強く反発するのを目にした経験は、他にも伝染する可能性がある。それは、どんな対抗関税にも匹敵するほどの威力を持つだろう。
アメリカの消費者のための工場になろうとする国々も、貿易について選ぶ余地がある。予測しづらい不安定なアメリカを排除しようとする国々は、新しい協力関係を作り、それを強化していくだろう。
トランプ大統領は、この点を重々承知している。そのことは、欧州連合(EU)とカナダが手を組んでアメリカに報復するならば、ますます関税を引き上げると脅したことからも明らかだ。これは悪夢のシナリオになる。
貿易戦争におけるゲーム理論では、信頼性が重要だ。アメリカには他に追随を許さない軍事力と技術力がある。それはアメリカを助ける。しかし、あまりにもあからさまに、ばかげた解につながる適当な公式を使って世界の貿易体制を一変させようとするなど、相手に抵抗してくれと頼んでいるようなものだ。そのばかげた解に、ペンギンがいようといまいと。
アメリカ以外の全世界が、トランプ大統領が持つ弾の入った銃は実は本人の足元に向いている考えている状況では、なおさらそうだ。株価がどこよりも急落したのはアメリカだった。インフレ率がどこよりも上がるのはアメリカになるだろう。アメリカで景気後退が起きる可能性は5割以上だと計算しているのは、今やウォール街なのだ。
本当の狙いはドル安を招き、アメリカの借入コストを下げることだという説には、もしかすると一理あるのかもしれない。
とりあえずアメリカは今のところ、自らが作り上げた世界貿易体制から脱退しようとしている。それがなくてもアメリカは続く。しかし離脱の移行期間は、実に面倒で厄介なものになずだ。
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